隠したい記憶

 異例の2020年シーズンは、ソフトバンクホークスの圧倒的な4連勝で幕を閉じた。今年は一度も球場に足を運ぶことができず、贔屓の球団の応援という点では、消化不良だが、120試合とはいえレギュラーシーズンが行われたことはよかったと思う。

  私自身は、横浜DeNAベイスターズのファンになって、もう10年以上が経つ。今日は需要など皆無であろうが、私の野球観戦経験の初期を振り返ろうと思う(梶谷、井納の巨人移籍が決まったタイミングとなったが、特に意味はない)。

 野球を見るきっかけとなったのは、第1回のWBCだった。たまたまテレビをつけると、決勝の9回の守り、最後のアウトを、大塚投手が三振で奪う場面だった(と思う)。それまで、学校の友人が野球をしようと言っても見向きもせず、サッカーを楽しんでいた人間のなかで、野球に対する興味が萌芽した瞬間だった(後付けといえば後付け)。

 2006年のシーズンから、テレビで時々野球中継を見るようになった。当時は、テレビで中継がある、祖父がファンであるという単純な理由から、読売ジャイアンツを応援していた。監督は、二次政権で戻ったばかりの原辰徳。打撃陣については、4番に、ロッテからやって来た韓国の主砲イ・スンヨプが座り、二岡、小久保、高橋由伸あたりが脇を固めていたことと、シーズン終盤の脇谷、鈴木の1、2番くらいしか記憶にない。投手陣で覚えているのは、先発:上原、パウエル、グローバー、中継:林、久保、西村、抑え:豊田(途中から高橋尚成)。この年は結局4位だった。とにかくこの年は落合中日が強すぎた。優勝が決まったのも巨人戦(しかも延長)だったため、かなり印象深い。タイロン・ウッズがとにかく恐ろしかった(ちなみに元横浜だったことを知ったのはもっと後になってからである)。

  2007年シーズンは、移籍してきた小笠原と谷の活躍、一番高橋由伸、抑え上原といったことがあったと思う。シーズン終盤まで、阪神、中日との激しい首位争いの末、優勝。しかし、この年始まったクライマックスシリーズで中日に1つも勝てずに日本シリーズには出場できなかった(これが契機となり、現在の優勝チームへの1勝のアドバンテージが導入された)。

  この年のオフに、ヤクルトからラミレス、グライシンガーを獲得するが、この辺りから少し違和感を覚えていたかもしれない。当時、個人的に好きな谷が左翼にいるのになぜラミレスとるの?、という感情があったことは記憶している。

 結果的に2008年のシーズンは巨人を応援する最後の年となった。この年も優勝したが、西武との日本シリーズの記憶が少し残っているぐらいである(ちょうど修学旅行被っていたような気がする)。この年の途中から横浜ベイスターズの試合も見始め、2009年からは完全な横浜ファンになった。やはり資金力にものをいわせ、自前で選手を育成する姿勢がみえなかったことが、大きな理由である。横浜のファンになったのは、地元にあるチームで、伸び代がありそう(2007年は4位)という理由からだった。今思えば、野球を見始めた年に巨人が4位だったことも、その後2年は応援していた理由だったかもしれない。横浜ベイスターズが3年連続90敗のダントツ最下位チームになることはまだ知るよしもなかった。

 横浜ファンになって以降のことは、また別の機会に書かせてもらうかもしれないし、書かないかもしれないし、まだ書けないかもしれない。巨人に対して負の感情を抱く野球ファンは一定数いるが、自分の場合、かつてなんでこんなチームを応援していたのかという感情がおまけにあるので、余計に嫌いになっているのかもしれない。梶谷、井納の件は、冷静に受け止められているつもりではあるが。

 長々書いていたら、早くも来シーズンの到来が待ち遠しくなった。